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2018 / 04 / 23 ( Mon )
小社会
2013年09月05日 高知新聞コラム

 直木賞に名を残す作家の直木三十五に、貧乏について書いた一文がある。「僕は、僕の母の胎内にいるとき、お臍の穴から、家の中を覗いてみて、『こいつは、いけねえ』と、思った」。

家が汚く、恐ろしく小さかったのだ。しかし神様からここへ生まれて出ろといわれたのだから、「仕方がない」と覚悟した。そう冗談めかしてはいるが、生まれた家が貧乏だったのは実話だろう。まこと、子どもは親を選べない。

ゆえに戦後憲法は「すべて国民は、法の下に平等」であると定める。それは法律上の夫婦の子(嫡出子)に生まれても、結婚していない男女の子(婚外子)に生まれても同じだ。最高裁がそう判断を変えた。

婚外子の遺産相続分は嫡出子の半分とする民法の規定は、明治民法から受け継がれた。事実婚やシングルマザーなどが増えてきた現代に、子どもには選択の余地のないことで差別するのは明らかに憲法に違反する。最高裁の決定は、むしろ遅すぎるくらいだ。

司法だけでなく立法府たる国会も、「不当な差別」という国内外の声に鈍感だった。婚外子には年少期や結婚の時に悩んだり、肩身の狭い思いをしたり、という人が少なくない。親の死に際しても人を苦しめる不条理を早く正すべきだ。

民法改正の機会は過去にもあったが、それを阻んできた「伝統的な家族観」とは何なのだろう。その「伝統」も時代の波と、憲法の真理にはあらがえない。
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