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2017 / 06 / 22 ( Thu )
小社会
2013年09月05日 高知新聞コラム
 直木賞に名を残す作家の直木三十五に、貧乏について書いた一文がある。「僕は、僕の母の胎内にいるとき、お臍の穴から、家の中を覗いてみて、『こいつは、いけねえ』と、思った」。

家が汚く、恐ろしく小さかったのだ。しかし神様からここへ生まれて出ろといわれたのだから、「仕方がない」と覚悟した。そう冗談めかしてはいるが、生まれた家が貧乏だったのは実話だろう。まこと、子どもは親を選べない。

ゆえに戦後憲法は「すべて国民は、法の下に平等」であると定める。それは法律上の夫婦の子(嫡出子)に生まれても、結婚していない男女の子(婚外子)に生まれても同じだ。最高裁がそう判断を変えた。

婚外子の遺産相続分は嫡出子の半分とする民法の規定は、明治民法から受け継がれた。事実婚やシングルマザーなどが増えてきた現代に、子どもには選択の余地のないことで差別するのは明らかに憲法に違反する。最高裁の決定は、むしろ遅すぎるくらいだ。

司法だけでなく立法府たる国会も、「不当な差別」という国内外の声に鈍感だった。婚外子には年少期や結婚の時に悩んだり、肩身の狭い思いをしたり、という人が少なくない。親の死に際しても人を苦しめる不条理を早く正すべきだ。

民法改正の機会は過去にもあったが、それを阻んできた「伝統的な家族観」とは何なのだろう。その「伝統」も時代の波と、憲法の真理にはあらがえない。
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2017 / 04 / 11 ( Tue )
婚外子相続差別、違憲 まだ続く法の下の不平等

2013年9月6日 福井新聞

 生きていれば、時代の流れに左右される。変わらないものがあるとすれば、法の下における平等、個人の尊厳。まして生まれながらの差別は許されない。

 結婚していない男女間の子(婚外子)に対する民法の相続格差規定について、最高裁大法廷が「違憲」の初判断を示した。「合憲」とした1995年判例を裁判官14人全員一致で見直した。政府は早ければ秋の臨時国会で民法改正を目指す。世界の潮流から立ち遅れた不当差別にいち早く終止符を打つべきだ。

 明治民法以来、引き継がれてきた嫡出子と婚外子の格差をどうとらえるか。このルールは、婚外子の遺産相続分を、結婚している夫婦の子である嫡出子の半分に抑えるものだ。

 大法廷の結論は「家族観が変わり、相続分を差別する根拠は失われており、憲法が保障する法の下の平等に反する」と明確に示した。本人の意思や努力とは無関係に、生まれた瞬間決まってしまう「社会的身分」は、戦後、批判がくすぶり続けた規定だ。事実婚やシングルマザーが増え、国民意識も変わった。時代のすう勢を考慮すれば、違憲判断は遅すぎたといえる。

 長く保持し続けた民法規定は「法律婚の尊重と婚外子の保護の調整を図る」としている。95年大法廷の合憲判断も「個人の尊厳」より「法律婚の尊重」を優先させた。ただ裁判官15人のうち5人は違憲の反対意見、合憲とした10人のうち4人も「法改正が適当」などと補足意見を付けていた。その後も小法廷が5回合憲としたが、「合憲の結論を辛うじて維持したとみることができる」状況だった。

 合憲判断当時は、法相の諮問機関である法制審議会で相続差別撤廃の議論が進んでいた。このことが立法府を尊重する「司法消極主義」に陥り、国会も保守系議員の強い反対で動かなかった。結局は三権の怠慢、責任放棄のもたれあいが「時代錯誤」を長期化させたといえる。

 今回の審理対象の相続は、2001年7月と11月に開始された。最高裁は、国連の再三にわたる是正勧告に加え、戸籍の記載などで区別をなくすようになった社会情勢の変化などから、「遅くとも同年7月には規定が違憲だった」とした。ただ「それ以降の解決済みの相続には影響を及ぼさない」とした。混乱を防ぐためだろうが、不公平を温存させた責任は重い。

 相続格差以外にも差別的扱いがある。死別や離婚した母親には税制上の優遇措置が提供されるが、未婚の母には適用されない。これも社会のひずみだ。

 その司法も変わりつつある。5年前には最高裁が、婚外子の国籍取得を困難にする国籍法の規定を違憲と判断。今年3月には東京地裁が知的障害などで成年後見が付いた人の選挙権を奪う公選法の規定を違憲とし、法改正につながった。少数派の権利保護は司法の責務である。

 だが、伝統的日本の家族形態を重視する立場から、今回の判断を批判する声は国民や国会の中にもある。あるべき社会の姿とは何か。平等とは何なのか。家族観や社会観、「家」を考える機会にしなければならない。
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2017 / 03 / 05 ( Sun )
ついになくなるか婚外子差別
2013/3/5 日経新聞 社説春秋

 古くから日本の法律に残る差別がついになくなる。そう期待していいだろう。「婚外子(非嫡出子)の相続分は嫡出子の2分の1とする」という民法900条の規定が法の下の平等を定めた憲法に違反するかどうか、最高裁が大法廷で審理することになった。

 15人の裁判官全員が審理に加わる大法廷は、最高裁が一度出した結論を再検討する必要があるときに開かれる。大法廷は1995年に民法のこの規定を「合憲」とする判断を示した。今回は「違憲」の結論が出る可能性が高い。

 Aさんに子が2人いて、1人は法的な配偶者との子B、もう1人は結婚していない相手との子Cだとする。Aさんが死んだとき、遺産の相続分はCがBの半分になる、というのが民法の規定だ。

 家族はそれぞれである。遺産配分にもそれぞれの事情があろう。それは遺言で指示すればいい。生まれたときの親の立場だけで法が人を差別していいはずはない。

 この規定は、男性が正妻でない女性との間にも子をつくった場合、その子にも相応の相続の権利を認める、という趣旨で明治時代につくられた。

 しかし、当時と今とでは家族や結婚をめぐる環境は大きく変わった。事実婚や国際結婚が増え、戦前の「家」を基本にした家族制度は法的には姿を消している。そうした中で残っているのが婚外子の相続差別なのである。

 この規定をなくすと、家族の結びつきを弱め不倫も助長するという反対意見がある。だが、そもそも「お妾(めかけ)さんの子」を想定してできた規定なのだから説得力はない。むしろ、社会の婚外子に対する有形無形の差別につながる弊害を問題にすべきだろう。

 規定にはかねて批判が多く、最高裁が合憲判決を出した翌年の96年、法制審議会はこの規定をなくす法改正を求める答申を出した。しかし、政府や国会は今まで差別を放置してきた。動かぬ政治の尻を司法がたたくというのは、決して望ましい姿ではない。
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